週刊新潮「三笠宮殿下」特集「罪もない中国の人民にたいして犯したいまわしい暴虐の数かず」

昭和天皇の弟の「三笠宮殿下」といえば、

「偽りを述べる者が愛国者とたたえられ、真実を語る者が売国奴と罵られた世の中を、私は経験してきた。」

三笠宮崇仁『日本のあけぼの 建国と紀元をめぐって』(1959)

が有名ですが。

週刊新潮が三笠宮殿下特集記事を過去にいくつか出していて、話題になっていたようなので記録。週刊新潮は基本的には右翼的とされるので、その右翼的な週刊新潮がこういう記事を出していたので余計に話題になっていたのでしょうか。とりあえず特に重要部分をデイリー新潮から引用記録。

デイリー新潮から

〈太平洋戦争は“架空な歴史”“勝算なき戦争”〉赤い宮様「三笠宮殿下」に関する識者の見方 | デイリー新潮

南京で見聞きした日本軍の行状についても、56年に上梓された『帝王と墓と民衆』(光文社)に付された『わが思い出の記』にてこう嘆かれている。

〈罪もない中国の人民にたいして犯したいまわしい暴虐の数かずは、いまさらここにあげるまでもない。かかる事変当初の一部の将兵の残虐行為は、中国人の対日敵愾心をいやがうえにもあおりたて、およそ聖戦とはおもいもつかない結果を招いてしまった〉

〈聖戦という大義名分が、事実とはおよそかけはなれたものであったこと、そして内実が正義の戦いでなかったからこそ、いっそう表面的には聖戦を強調せざるを得なかったのではないか〉

 いわゆる「南京虐殺」についても、

〈最近の新聞などで議論されているのを見ますと、なんだか人数のことが問題になっているような気がします。辞典には、虐殺とはむごたらしく殺すことと書いてあります。つまり、人数は関係はありません〉(「THIS IS 読売」94年8月号)

「罪もない中国の人民にたいして……」100歳を迎えられた三笠宮殿下の“斬新なお言葉”集 | デイリー新潮

三笠宮さまは1943年1月から1年間、お印にちなんだコードネーム“若杉参謀”として南京に赴任され、戦後は東大でオリエント史を学ばれた。56年には『帝王と墓と民衆』(光文社)を上梓。ご自身の戦時中の感慨について、同書に付された『わが思い出の記』の中で、

〈わたくしの信念が根底から揺りうごかされたのは、じつにこの一年間であった。いわば「聖戦」というものの実体に驚きはてたのである。罪もない中国の人民にたいして犯したいまわしい暴虐の数かずは、いまさらここにあげるまでもない。かかる事変当初の一部の将兵の残虐行為は、中国人の対日敵愾心をいやがうえにもあおりたて、およそ聖戦とはおもいもつかない結果を招いてしまった〉

〈この失敗は軍および日本政府首脳者に真剣な反省をうながし、新たに対華新政策なるものが決定され、わたくしが南京に在住していた一年間は、司令官以下この新方針の徹底に最大の努力をした〉

 と、現地で見聞した日本軍の行状をひたすら嘆かれ、

〈新政策が発表されるや、軍司令官はただちに「四悪」を禁止するという厳重な命令をくだした。四悪というのは略奪、暴行、放火、強姦のことである。(中略)ある第一線の大隊長のいうことがふるっていた。今までは敵のいた家は焼きはらって進んだので、自分の大隊の第一線がどの辺を前進しているかすぐ分かった。ところがこんど放火を禁ぜられてみると、第一線がどこにいるかさっぱり分からない、と。まったく笑えないナンセンスであった〉

〈聖戦という大義名分が、事実とはおよそかけはなれたものであったこと、そして内実が正義の戦いでなかったからこそ、いっそう表面的には聖戦を強調せざるを得なかったのではないか〉

南京虐殺は“人数に関係はありません”のお立場「三笠宮殿下」 | デイリー新潮

例えば1956年に上梓された『帝王と墓と民衆』(光文社)に付された『わが思い出の記』の中で、1年間ご赴任された南京で見聞した日本軍の行状をこう嘆かれている。

〈一部の将兵の残虐行為は、中国人の対日敵愾心をいやがうえにもあおりたて、およそ聖戦とはおもいもつかない結果を招いてしまった〉

〈内実が正義の戦いでなかったからこそ、いっそう表面的には聖戦を強調せざるを得なかったのではないか〉

57年11月13日付「毎日新聞」は、ある歴史学者の祝いの席でなされた三笠宮さまの発言を報じている。

〈二月十一日を紀元節とすることの是非についてはいろいろ論じられているが、カンジンの歴史学者の発言が少ないのはどうしたわけか。紀元節問題は歴史科学に影響するところが大きいと思う。(中略)このさい、この会をきっかけに世話人が中心となって全国の学者に呼びかけ、二月十一日・紀元節反対運動を展開してはどうか。(中略)この問題は純粋科学に属することであり、右翼、左翼のイデオロギーとは別である」〉

 学者の立場から「紀元節に科学的根拠なし」との論陣を張った三笠宮さまは、その後も、

〈紀元節についての私の信念〉(「文藝春秋」59年1月号)

 と題した論文を発表。

〈日本人である限り、正しい日本の歴史を知ることを喜ばない人はないであろう。紀元節の問題は、すなわち日本の古代史の問題である〉

そう強調され、以下のように結んでおられたのだ。

〈昭和十五年に紀元二千六百年の盛大な祝典を行った日本は、翌年には無謀な太平洋戦争に突入した。すなわち、架空な歴史――それは華やかではあるが――を信じた人たちは、また勝算なき戦争――大義名分はりっぱであったが――を始めた人たちでもあったのである。もちろん私自身も旧陸軍軍人の一人としてこれらのことには大いに責任がある。だからこそ、再び国民をあのような一大惨禍に陥れないように努めることこそ、生き残った旧軍人としての私の、そしてまた今は学者としての責務だと考えている〉

84年に刊行された自叙伝『古代オリエント史と私』(学生社)である。そこでは、

〈今もなお良心の苛責にたえないのは、戦争の罪悪性を十分に認識していなかったことです〉

 と前置きしつつ、南京での実態をさらに詳述され、

〈ある青年将校――私の陸士時代の同級生だったからショックも強かったのです――から、兵隊の胆力を養成するには生きた捕虜を銃剣で突きささせるにかぎる、と聞きました。また、多数の中国人捕虜を貨車やトラックに積んで満州の広野に連行し、毒ガスの生体実験をしている映画も見せられました。その実験に参加したある高級軍医は、かつて満州事変を調査するために国際連盟から派遣されたリットン卿の一行に、コレラ菌を付けた果物を出したが成功しなかった、と語っていました。

「聖戦」のかげに、じつはこんなことがあったのでした〉

南京から帰任する直前の44年1月、三笠宮さまは“若杉参謀”の名で将校らを前に講話をなさっている。軍紀の乱れや現地軍の独走を激しく指弾する内容は「支那事変に対する日本人としての内省」という文書にまとめられ、94年には半世紀ぶりに公表された。当時、月刊誌の取材でご自身は、いわゆる「南京虐殺」についても、

〈最近の新聞などで議論されているのを見ますと、なんだか人数のことが問題になっているような気がします。辞典には、虐殺とはむごたらしく殺すことと書いてあります。つまり、人数は関係はありません〉(「THIS IS 読売」94年8月号)

 そう断じており、

〈中国側は、日本軍の残虐行為を『勝利行進曲』という映画にしていましたが、それを日本側が重慶あたりで没収してきたものを手に入れた私は、東京に連絡で戻った時に、その映画を持っていき、昭和天皇にもお見せしたことがあります。もちろん中国が作った映画ですから、宣伝の部分も多いでしょうが、多くの部分は実際に行われた残虐行為だっただろうと私は考えています〉

週刊新潮が紹介した「THIS IS 読売」インタビューが有名サイトにあったので。

日本人の著作に見る「南京事件」

三笠宮崇仁インタビュー「闇に葬られた皇室の軍部批判」より

(聞き手 中野邦観・読売新聞調査研究本部主任研究員)

 ―最近また南京大虐殺について、閣僚の発言が問題になりましたが、同じような問題が何回も繰り返し問題になるのはまことに困ったことだと思います。三笠宮殿下はこの問題についてどのように受け止められておられますか。

三笠宮 最近の新聞などで議論されているのを見ますと、なんだか人数のことが問題になっているような気がします。辞典には、虐殺とはむごたらしく殺すことと書いてあります。つまり、人数は関係ありません。私が戦地で強いショックを受けたのは、ある青年将校から「新兵教育には、生きている捕虜を目標にして銃剣術の練習をするのがいちばんよい。それで根性ができる」という話を聞いた時でした。それ以来、陸軍士官学校で受けた教育とは一体何だったのかという懐疑に駆られました。

また、南京の総司令部では、満州にいた日本の部隊の実写映画を見ました。それには、広い野原に中国人の捕虜が、たぶん杭にくくりつけられており、また、そこに毒ガスが放射されたり、毒ガス弾が発射されたりしていました。ほんとうに目を覆いたくなる場面でした。これごそ虐殺以外の何ものでもないでしょう。

ネットの反応

週刊新潮記事への反応もいくつか。

「いや、知ってた話だけど、週刊新潮って「右翼御用達」の雑誌じゃなかったっけ??」

「新潮らしくもない率直な記事…どうしゃちゃったんだろ?」

「皇族らしからぬ「斬新なお言葉」ってどういう意味?俺達の考えと違うってこと?」

「“斬新なお言葉”ってなんだろう。自分が見たままを語ってるだけじゃないか。」

「この「斬新なお言葉」ってどういう意味なの? 普通に帝国軍の暴虐を嘆いているだけじゃん。」

X (twitter.com)

テレビで三笠宮殿下

なんと、テレビでもこれをやっていた模様。

テレビでもこういうのやることあるんですね。自分は遭遇したことないので、どういう雰囲気でやるのだろう?と少し気になります。ただ、このへんはやったとしても、中国での戦争についての発言については、テレビではやらなそうな気がしますが。

コメント

南京事件や中国での日本軍の蛮行を否定する人たちがいまだに無数にいます。そういう人たちに、昭和天皇の弟の三笠宮殿下もこういうこと言ってるんだよ、と示しても効果がないのはわかってます。残念ながら。そういう人たちは口では天皇家を敬っている的なこと言いますが、それは自分の都合のよい存在である限りなのでしょう。

ただ、そこまで行きついてしまった右派ではない、自称「普通の日本人」ではない、リアル「普通の日本人」には、こういう情報は少しは効果があるかもしれません。なので、右翼雑誌だとしても、リアル「普通の日本人」の読者も多いであろう週刊新潮にこういう記事が掲載されたのはとてもいいことだと思います。デイリー新潮もひどい記事ばかりですが、この記事もいまだに残っているのはありがたい。

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